【名曲徹底解説】ラフマニノフ:ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 Op.36 ― 燃える鐘のソナタ

はじめに

ラフマニノフのピアノ・ソナタ第2番(1913/1931)は、濃密な和声、鐘のように鳴り響く和音、そして全楽章を貫く循環主題が渦を巻く、ラフマニノフ円熟期の大作です。オリジナル(1913年版)、作曲者改訂(1931年版)、さらにホロヴィッツ編(作曲者公認の“折衷版”)という三つの姿で演奏され続ける、ちょっと珍しい名曲でもあります。本稿では、誕生の背景から構造、版のちがい、名演ガイド、聴き比べのツボまで、コピペ即投稿OKな形で徹底解説します。


作曲の背景:ローマの構想、イワノフカの完成

1913年、ラフマニノフは家族とローマに滞在し、そこで本作の草稿を書きはじめます(同時期に合唱交響曲《鐘(The Bells)》のアイデアも温めていました)。娘たちのチフス罹患でベルリンに移動して治療を受けたのち、ロシアのイワノフカ(妻の実家の領地)に戻って1913年9月に完成。献呈は幼なじみでツヴェレフ門下の盟友、マトヴェイ・プレスマンに捧げられています。初演はロシア帝国の**クルスクで1913年10月18日(新暦)**に作曲者自身の手で行われました。1931年には作曲者自身が大幅に刈り込みと手直しを施した改訂版を完成し、**1931年12月10日ポートランド(米メイン州)**で披露しています。


作品プロフィール(3楽章・循環形式)

  • 第1楽章:Allegro agitato(変ロ短調)
    冒頭の下降アルペッジョ→低音オクターヴ→変ロ短調の和音で一気に暗がりを切り裂きます。第2主題は変ニ長調のコラール風。展開部では半音階がうねり、左手が鐘の模倣を響かせます。
  • 第2楽章:Non allegro – Lento(ホ短調→ホ長調)
    下行する三度の動機を基に、静謐から大高潮へ。第1楽章素材の回帰(循環)がポイント。
  • 第3楽章:Allegro molto(変ロ長調)
    再びブリッジ(Non allegro)から雪崩れ込み、勝利の輝きへ。終結は鐘の大合唱のような高揚。
    二つのNon allegroの短いブリッジ(各7小節前後)が楽章間をつなぎ、全曲の統一感をつくります。終楽章の形式についてはソナタ形式寄り/ロンド的とする見解が併存します(分析者により解釈差あり)。

キーワード:
鐘(ベル)の音型、循環主題、厚い和声と分厚い分散和音。ときに「怒りの日(Dies irae)」を想起させるフレーズが顔を出すとの指摘も(解釈による)。


三つの“版”を知る(1913/1931/ホロヴィッツ)

  • 1913年版(オリジナル)
    音数豊富・大規模・濃密。演奏時間は概ね25分
  • 1931年版(作曲者改訂)
    作曲者自身が「冗長」「声部が多すぎる」と感じて約120小節規模のカットとテクスチャ整理を実施。全体を引き締め、演奏時間は約19–20分に短縮。
  • 1940年前後のホロヴィッツ版(作曲者公認の折衷)
    1913年版を基調に1931年版の要素も取り入れた“ハイブリッド”。演奏時間は概ね22分。のちに出版され、多くのピアニストが実演で参照。

どれが“正しい”か?
作曲者は二つの自筆版を残し、ホロヴィッツの折衷も容認しました。ゆえに複数テクストが共存するのがこの曲の魅力。ピアニスト各自が版を選び、あるいは両版を折衷して「自分の第2番」を作る伝統が根づいています。


各楽章の聴きどころ&版差ポイント

I. Allegro agitato

  • 聴きどころ:雄大な下降アルペッジョと鐘の連打。第2主題のと、展開部の“うねり”。
  • 版差:1931年はつなぎや展開を圧縮して流れがタイトに。1913年は素材が“もう一段”発展し大伽藍が立ち上がる印象。

II. Non allegro – Lento

  • 聴きどころ下行三度の主題→クライマックス→静けさへ。第1楽章素材の回帰(循環)が涙腺を直撃。
  • 版差:1931年は中間部とコーダを短縮し、前楽章主題の引用をより明確に配置。1913年はカデンツァ後の鐘の余韻が長く、瞑想の時間が豊か。

III. Allegro molto

  • 聴きどころ:ブリッジから一気呵成。推進力のある主題と勝利のB♭長調。終結の鐘の大団円
  • 版差:1931年はヴィルトゥオジティの整理で見通しが良い。1913年は荒々しい昂揚が魅力。ホロヴィッツ版は聴感上の劇性が最大化。

“鐘”をどう聴く?(ラフマニノフ語法の核心)

ロシア正教の鐘楼を思わせる重層和音分散和音の重なりが全楽章に散りばめられます。第1楽章中盤の重なる鐘のテクスチュア、第2楽章の低音鐘のトルミーロ、終楽章コーダの歓喜の鐘群。この“鐘の設計”こそ、ソナタ第2番のサウンド・アイデンティティです。


名演ディスコグラフィ(聴き比べの道しるべ)

※( )内は主たる版。★は初めての方に特におすすめ。

  • ウラディーミル・ホロヴィッツ(折衷版/ライヴ1968 ほか)★
    作曲者公認の折衷。劇性と凝縮感のバランスが唯一無二。
  • ゾルターン・コチシュ1913年版)★
    フィリップス盤。「Original Version」と銘打つ貴重な全曲1913年版の決定的名演。
  • ニコライ・ルガンスキー折衷
    1913年を軸に1931年の洗練も取り入れた自作テクスト。構築美とカンタービレの粋。
  • オルガ・ケルン1931年版
    クリアで推進力のある改訂版の魅力を聴かせる快演。
  • マルク=アンドレ・アムラン1931年版/実演・録音複数)
    透徹した見通しと鉄壁のコントロールで**改訂版の“見やすさ”**を体感できる。
  • ヴァン・クライバーン(折衷)
    1913と1931の素材選択が興味深い“演奏家版”の先駆例。

聴き比べのコツ

  1. 演奏時間で当たりをつける(25分前後=1913/19–20分=1931/22分前後=折衷の目安)。
  2. 第2楽章のカデンツァ後:1913は余韻が長く、1931は短い。
  3. 終楽章コーダの鐘の量感:1913や折衷は“鳴らし切る”場面が増え、1931は整理されて見通し良く。

逸話・小ネタ

  • 献呈相手プレスマンはツヴェレフ門下の学友。師の家に寄宿して切磋琢磨した“仲間”への友情が刻まれています。
  • 1931年改訂についてラフマニノフは**「声部が多すぎる」「長すぎる」と漏らし、ショパンの第2ソナタ(約19分)を理想的な長さの指標**にしたと伝わります。
  • ホロヴィッツは作曲者に面会し、両版の長所を生かした折衷を提案。作曲者がこれを承認したことで以後「演奏家が自分の版を作る」伝統に箔がつきました。

まとめ

ソナタ第2番は、同じスコアから複数の真実が立ち上がる稀有な名曲です。1913年版の豊饒、1931年版の精緻、ホロヴィッツ版の劇性。どれを選んでも、ラフマニノフならではの鐘の宇宙歌の大河にひたれます。まずは自分の好みの“版”を見つけ、次に版違いを聴き比べてみてください。きっと曲の内部で“鐘”が鳴る位置や意味が、はっきり立体化して聴こえてくるはずです。


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