フランシス・プーランク(1899–1963)の《フルート・ソナタ》は、たった3楽章・約12分に、彼ならではの“苦みばしった優美さ(ビター・スウィート)”とウィット、そして真情をぎゅっと封じ込めた名作です。20世紀のフルートとピアノのレパートリーの中でも、もっとも広く演奏される作品の一つとして知られ、コンクールやリサイタルでも常連。フルートの「歌」とピアノの洒脱な相棒ぶりが、聴き手にも弾き手にも忘れがたい体験をもたらします。
1. 作曲の背景——“アメリカの恩人”へ捧ぐ、ランパルとプーランクの共演
- 委嘱と献呈
1956年、米国議会図書館(クーリッジ財団)からの委嘱で着想が具体化。献呈は同財団の支援者 エリザベス・スプレイグ・クーリッジ の追憶に。プーランクは木管の音色を“人声に近い”とこよなく愛し、本作もその嗜好のど真ん中にあります。 - 作曲から初演まで
作曲は1956年末から翌57年春にかけて。1957年6月18日、ストラスブール音楽祭で、ジャン=ピエール・ランパル(fl)と作曲者自身(pf)が初演。客席の熱狂で第2楽章がアンコールされた、という微笑ましい逸話も伝わります。前日にはピアニストのアルトゥール・ルービンシュタインを“客一人”に招いた試演もあったとか。 - 各地初演のメモ
アメリカ初演は1958年2月14日、ワシントンのクーリッジ・オーディトリアムでランパル&ロベール・ヴェイロン=ラクロワ。イギリス初演の記録は資料により**1958年1月16日(BBC放送、共演ガレス・モリス)**とする説と、1959年1月とする記述が併存します(後述の出典参照)。
この作品はのちにサー・レノックス・バークリーがフルートとオーケストラ版に編曲。コンサートホールでも親しまれる別貌が生まれました。
2. 楽曲の構成と聴きどころ
全3楽章。形式は古典的なソナタというより、フランス18世紀風の“しなやかな様式感”を現代語で話す音楽。フルートは“語り手”、ピアノは機知に富む相棒として、ときに伴走、ときに対話、ときに挑発します。
I. Allegro malinconico
冒頭、高音Eから滑り落ちる32分音符の起伏が“つぶやき”のように始まり、すぐさま歌が立ち上がる——まさに“快活に、しかしメランコリックに”。形式は厳格なソナタではなく、三部的な弓形で進行。軽やかな推進の裏で、転調や和声の曖昧さが**“ほの暗い翳り”を醸し、プーランクの二面性(洒脱さと感傷)が早くも顔を出します。フルートには頻出するトリル**や細かなタンギングの技術的要求があり、始音の高Eの安定が勝負どころ。
II. Cantilena(Assez lent)
タイトル通り“歌”がすべて。ピアノの小さな合図に乗って、フルートが切れ目なく弧を描く旋律を紡ぎます。作曲同時期のオペラ《カルメル会修道女の対話》の清澄な気配を思わせる、とも評される楽章。中間部では点描的な付点リズムがさっと風を入れ、最後は再び静謐へ。息の一本糸・音程の純度・フレーズの弓形——この3点が演奏の生命線。
III. Presto giocoso
跳ねる拍節で駆け抜ける**“愉悦のロンド”。ただし書法は自由闊達で、途中で一瞬テンポを抜き、第1楽章の素材がふっと回想されるサプライズ(内省の影)が差し込みます。終結には「厳格なテンポで、決して遅くしない」という作曲者の注意があり、最後までリタルダンド厳禁のダッシュ**で駆け抜けるのが作風に合致。
3. 名演・名盤ガイド(厳選)
- ジャン=ピエール・ランパル(fl)/ロベール・ヴェイロン=ラクロワ(pf)
フランス語のニュアンスが耳に心地よい“原点の名演”。(再発多数) - ランパル(fl)/プーランク(pf)《第2楽章「カンティレーナ」》
作曲者のタッチと間合いが味わえる貴重音源(1959年)。 - エマニュエル・パユ(fl)/エリック・ル・サージュ(pf)(Warner/EMI, 1997)
透明感と語りの巧さが共存。20世紀フレンチ小品と並べて聴くと文脈が見える。 - ウィリアム・ベネット(fl)/クリフォード・ベンソン(pf)(Camerata, 1991)
節度あるカンタービレと自然なアゴーギグ。英流の滋味。 - シャロン・ベザリー(fl)/ロナルド・ブラウティハム(pf)(BIS, 2010)
BBC「Building a Library」推奨。音色の多彩さと会話の妙で近年の基準録音。 - パトリック・ガロワ(fl)/パスカル・ロジェ(pf)(UMG/Decca, 1989)
速めの運動感と明快なフレージング。終楽章の推進が爽快。 - アダム・ウォーカー(fl)/ジェイムズ・ベイリュー(pf)(Opus Arte, 2013)
しなやかな歌心。若い感性で“いまのフルート語法”を体現。 - 〈オーケストラ版〉ジェームズ・ゴールウェイ(fl)/デュトワ指揮RPO(RCA, 1977録音)
バークリー編曲による“協奏曲ふう”の華やぎ。クラシック・ファン全般におすすめ。 - ミシェル・ドボスト(fl)/ジャック・フェヴリエ(pf)
フランス伝統の語り口。音色の陰影が魅力の歴史的音源。
どの盤から聴くか迷うなら:⑤ベザリー/ブラウティハムで“現代の完成形”→③パユ/ル・サージュでフランス語のニュアンス→①ランパル盤で原点回帰、の順が楽しい。
4. スコアと版のポイント
- 初版は1958年 J. & W. Chester。
- 現行のスタンダードは1994年改訂ウアテクスト(Schmidt & Harper編集)。記譜の不整合訂正や詳細な解説が付くのが利点です。
- 冒頭の強弱指定など、旧版と改訂版で細部が異なる箇所があるため、共演者で版を統一するか、事前にすり合わせを。
5. 演奏のツボ(吹き手&弾き手の実践ヒント)
フルート
- 冒頭の高E:息のスピードと口形を先に“セット”してから入ると破綻しにくい。
- トリル:上側の音に的を置いて、発音の明瞭さを優先。
- Cantilena:一本の息で弧を描くイメージ。ヴィブラートは語尾で自然に減衰させると清澄。
ピアノ
- I楽章のアルペッジョは**“水面のきらめき”**の役(粒立ちとppコントロール)。
- II楽章はレガートのパレットづくり(和声変化ごとに色合いを塗り替える)。
- III楽章の終結は**「決して溜めない」**。メトロノームで“最後の2小節だけ”練習しておくと舞台で崩れない。
6. 小ネタ&豆知識
- **“世界でもっとも演奏されるフルート+ピアノ曲”**との呼び声も(ラジオや評論でしばしば言及)。
- オーケストラ版は1976年にL.バークリーが編曲(刊は1977)。ゴールウェイの録音で広く知られるように。
- プーランクは晩年に木管ソナタ(Oboe 1962/Clarinet 1962)を連続して書き、本作はその先駆けとも見なされます。
7. まずはここを聴こう(超要点)
- I:苦味を帯びた歌と軽妙なステップの二重人格を味わう。
- II:息の一本糸に“時間が止まる”。フルートの真価。
- III:回想の一瞬(I楽章の影)が現れてからのノン・リタルダンド疾走に痺れる。
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